とある人とのやりとりで不思議な感覚を覚えました。
人が信じられなくて
どうしようもなくて
苦しくて
もうダメだ…と、自分が死ねるかどうか試してみた人
無事に命が繋がっていて
ホッと胸を撫で下ろしたのだけれど
この人と、今まで何度かやりとりしている中で
共感しすぎて心が痛くなる時がある
けれどこの人は、ご両親からたくさんの愛をもらった人で
(親の期待に応えられない事にもひどく悩んでおられる)
安全基地を持たない私と
どうしてこんなにリンクするのだろう
時に感情コントロールが出来なくて
ひどく怒りをぶつけてきたり
その事に本人も気が付いていて
理性的な自分と、荒れ狂う自分、2人の自分がいると言う
自我がしっかりと暴れ馬の手綱をひけるかどうか
暴れ馬は
これ以上自分が傷つかないようにと
必死で身を守っているのが痛いほどに伝わってくる
自分はこんなにも人の為に
期待に応える為に
自分を犠牲にして頑張っているのに
見返りどころか裏切りという形で返ってくる
人を信じる事と 人に期待する事って
似ているけれど違うのかも
しっかりと相手と自分の境界線を引いて
自分の足で立ち、進んで行くことが大切なのだ
その事に気づいた時、憑き物が落ちたかのような
新しい感覚を覚えた事を思い出しました。
自分を優先する事
最後は自分が大事だと思う事は
悪い事ではない
“真面目な人が損をする“そんな世の中が
現実にはあったりするけれど
自分はこんな生き方しか出来ないし
そんな自分が
哀れで愛おしくもある
どんな土台で生きてきたとしても
自分は自分としての道を
探し当てる事が大事なのかな
すっかり忘れていた
パールズのゲシュタルトの祈り
この祈りで私は覚醒した気がしています