アラフィフ独女の奮闘記

生きづらさを抱えながら独り踏ん張ってきた。40歳を過ぎ、自分はアダルトチルドレンの回避依存だという事に気づきました。また、人一倍敏感な気質はHSPであることも…。今から人生脚本を書き換えられるか?日々の奮闘ぶりをつづります!

生きづらさの原因は

「生きづらい」と実感したのはここ数年ですが

このモヤモヤした気持ちは小学生の頃までさかのぼります。

 

私は毒親育ちです。

褒められた記憶はなく、手伝いをしても

「余計な事をするな」と言われ

自分は何か行動を起こすと怒られる…

自分は不必要な人間だと無意識に思っていた

 

小学高学年の頃には、すでに赤面症になっていました。

自意識過剰??と言われても自覚はない。

おそらく人前で怒られるのではないかと

恥をかく自分を瞬時に想像していたように思います。

「赤くなってる」と周りに冷やかされる事で

余計に人前が怖くなりました。

 

社会人になってからも 軽い対人恐怖症だったと思うのですが

人前に出たり、大勢の中にいるのが苦痛で仕方ない

満員電車に乗ると動悸がしたり

うまく人と付き合えない

とうとう薬のお世話になってしまいました。

 

なぜ私はこんなに人が怖いのか

最終的に「自己肯定感」という事になるのですが。

 

自分と向き合うことで色んな概念と巡りあう

「ツインソウル」「ライトワーカー」「インディゴチルドレン」やら

クリスタルに宇宙人…💧

これはスピリチュアルな世界ですが

 

自分は何者か?と考えるうち

この生きづらさは発達障害愛着障害なのかなぁと

 

そして、その特徴と似ていますが

HSP」という「敏感すぎるひと」にたどり着きました

 

人の心や痛みがうつる事はないのですが

その場の空気感や、人のマイナス感情

音・光・皮膚なんかは非常に敏感であるし

自分が迷惑をかけていないか?周りばかり気にして

人疲れする自分に妙に納得

 

育った環境も影響するそうですが

もともと感受性が豊かであった為に

育て辛さもあったのではないか?と思うようになりました。

 

「出来ない自分」から「出来る自分」になろうと

必死で努力もしてみましたが

余計つらくなるばかり😢

そして自分を内観する時間が増えました

 

自分は何の為に生まれてきたのか?

何の為に生きているのか?

 

その答えは

 

何の為でもなく、自分の為である事

自分の為に生きてていいのだという事

 

出来ない事も苦手な事もたくさんあるけど

そんな自分でもいいのだと

思えるようになりました。

 

今からでも遅くない

 

生きづらさの中で生きるのではなくて

生きやすい場所を

自分で作ろう

出来る事を精一杯頑張ろう

そう思えるようになり

今はこんな自分が好きにもなりました♪

 

色々な気づきから

自己肯定感も育めるようになりました。

 

私のように

生きづらさを感じている人の

居場所づくりをしていきたいと

思っています。